Jan 28, 2011
国内旅行は、常に勉強の日々
国内旅行はオフシーズンの場所を選択します。ハイシーズンに比べて非常に安く行くためです。別の観光イベントが好まないことも理由の一つです。国内旅行は、鉄道や飛行機、バス、レンタカーなど、自由に選択することができます。常に安く楽しい旅行をするために、勉強は欠かせません。自分の時間は時刻表や旅行サイトで、楽しく勉強しています。卒業旅行は、大学や短期大学等の学生が卒業の前後に友人や恋人と旅行です。学生が企業に就職する前に、学校生活の思い出に卒業旅行に行く人が多いです。卒業旅行の目的地は違うが、国内だけに限らず、海外に長期の期間に行く人も多いです。自分で決めるのも良いですし、旅行会社をうまく使っていくのもいいでしょう。
◆阪神5―3中日(26日・甲子園) 虎にニューヒーローが誕生した。1―3の5回1死一塁、プロ4年目で初めて1軍に昇格したばかりの森田が、球団史上初のプロ初打席初本塁打を放った。若虎の同点2ランで勢いに乗ると、8回に鳥谷の適時三塁打で勝ち越し。真弓監督は就任以来、3年続けて球宴明け初戦で白星を挙げ、シーズン折り返しの72試合目で単独2位に浮上した。
自慢のパワーで思い切り振り抜いた。2点を追う5回1死一塁。大声援に押された打球は、左翼ポール際の客席に飛び込んだ。「うれしいの一言しかない。緊張して覚えていない」。まさかの同点弾に、森田は全力でダイヤモンドを駆け抜けた。
史上51人目となるプロ初打席初本塁打は、阪神球団では初めて。代打では史上13人目で、誰もが予想しなかった離れ業で劣勢だった流れを一気に呼び寄せた。
苦難の末だった。入団1年目の08年オフ、持病の右肩痛のため育成に“降格”。「いつかはい上がってやろうと思っていた」と、反骨心を胸に取り組んできた。昨年7月に再び支配下登録を勝ち取り、今季は2軍で72試合出場、打率2割4分9厘、5本塁打、20打点。長打力を買われてプロ初昇格したこの日、いきなり大仕事をやってのけた。
スタンドには、岡山から駆けつけた両親の姿があった。母・なつみさん(44)は「昨日の夕方に連絡がありました。手が震えてきました」とあふれる涙を拭った。父・育夫さん(48)も「まさかここで打つとは」と目を細めた。18日に誕生日を迎えた母に、少し遅れた親孝行となった。
森田の一発で息を吹き返した打線は、8回1死二塁から鳥谷が決勝の適時三塁打。後半戦初戦を勝利で飾った。デビュー戦でヒーローとなった“持ってる”若虎は試合後、ブラゼルからシェービングクリームを顔面に塗りたぐられる手荒い祝福を受けた。この日は母校・関西が5年ぶりの夏の甲子園出場を決め、記念球を手に「目が痛い」と笑いながら、人生最高の一日に酔いしれた。
シーズン折り返しの72試合目で、単独2位に浮上。昨秋のキャンプから森田の成長を感じていた真弓監督は「若い人が打つとチームが勢いに乗ってくる。1試合1試合大事に戦って首位に近づきたい」とうなずいた。残る借金は1。完済へ、もう足踏みはしない。
[森田あらかると]
★生まれ&サイズ 1989年8月4日、岡山市生まれ。21歳。185センチ、93キロ。右投左打。
★球歴 小学1年に「岡輝レンジャースJr.」で野球を始める。芳田中から関西高に進み、2年春夏、3年春に甲子園出場。07年高校生ドラフト3巡目で阪神入団。08年オフに育成選手として契約し、10年7月に支配下登録された。
★生まれた時はミニサイズ 誕生時は51センチ、2950グラム。
★魚食系男子 幼少時から肉より魚好き。いりこ、じゃこ、ししゃもがおやつで強じんな肉体の源に。焼き肉も大好物。
★野性児? 実家はゲーム機が1台もない。野球と外遊びしか興味がなく「買ってと言ったこともなかった」と母・なつみさん。
★大けが 関西高1年秋の岡山大会決勝で右肩を負傷。脱臼で2度手術を受けた。
★座右の銘 「がむしゃらに」
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◆第93回高校野球選手権宮城大会 ▽決勝 利府1―3古川工(26日・Kスタ宮城) 宮城では、東日本大震災で震度6強と最大級の揺れに見舞われた大崎市にある古川工が、春夏通じて初の甲子園出場。
重い扉を開けた。同点の7回。1死満塁の絶好機で古川工の只埜達郎が適時左前打を放った。8回にも1点を加えると、9回はエースの山田大貴が3人でピシャリ。春夏通じて初の甲子園出場に、今野晴貴主将は「つらいことが続いたので、うれしいの一言です」と喜びをかみしめた。
校舎のある大崎市は内陸部に位置する。震災での揺れは最大級の震度6強。08年の岩手・宮城内陸地震でも震度6弱を計測した同地だが、今野は「今回の方が時間が長くて、何回も大きいのが来た」と振り返る。記録員の佐々木元気(3年)の自宅が大規模半壊するなど、あまりに衝撃的な津波被害の陰で内陸部も打撃を受けていた。
震災翌日、帰宅できなかった数人の選手がグラウンドでキャッチボールを行った。すると、近隣の住民から「野球をやっている場合じゃない!」と叱られた。一時は夏の大会が中止になるとうわさも流れた。「なんのために野球をやっているんだ」(今野)。絶望的な気持ちの中で「夏があると信じて、とにかく野球をやろう」と話し合い、奮い立たせてきた。
準決勝ではセンバツ出場校の東北を撃破。苦しんだ分、ナインは強くなった。公立校の出場は9年ぶりの快挙だ。被災地の代表として臨む初の夢舞台に向け、今野は「宮城に元気を与えられたら」と誓った。
◆古川工(大崎市) 1934年創立の県立共学校。科学技術科があるのが特徴。生徒数710人(うち女子175人)。野球部は48年創部で部員数47人。主なOBに蘇武幸志(バレーボール)、いがらしみきお(漫画家)。
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