Nov 11, 2009

売りたいサッカーユニフォーム

サッカーのユニフォームも、より一般的なファッションアイテムとして一般に販売いいですね。デザインの複製ではなく、プロのサッカー選手が着ているものと同じ機能を持つクールなTシャツです。そんなサッカーユニフォームと同じな服を着て、普段の生活を送る場合は、必ず最高ですね。
スポーツクラブに通っていた時に有酸素運動をするために、ランニングマシンを使用したいだけ使用しています。家にもランニングマシンがあり、団地に住んでいるので、走る、階下に響くようで、それを知ってから使用しないことです。走っのに利用できないのは歯がゆかっのですが、スポーツクラブに行くようになれば、使用することができなかった鬱憤を解くかのように存分に使って走っていました。
 台風12号の影響を受け、4日に予定されていた学生野球や高校野球が中止となった。
 京都府高野連は秋季府大会1次戦の2回戦など計37試合を中止とした。今後の日程や試合会場は5日以降に発表する。
 関西学生野球は、わかさスタジアム京都で予定されていた関大−近大、京大−同大の2試合が中止となった。5日の2回戦を1回戦とする。2回戦の日程は未定。
 京滋大学野球は4、5日の試合を中止した。代替日程は10月8、9日。会場と試合時間は未定。

 小田原の清閑亭(小田原市南町、TEL 0465-22-2834)で9月12日に、「清閑亭 観月会コンサート」が開かれる。主催はNPO法人小田原まちづくり応援団。(小田原箱根経済新聞)

 同イベントは、湘南地域の9カ所・24団体で行われている「湘南邸園文化祭2011」のプログラムの一つ。十五夜の月を筑前琵琶の音色と共に楽しむ趣向で、琵琶奏者の田原順子さんによる演奏会を行う。筑前琵琶は清閑亭を建てた黒田長成侯爵が好んだもので、柔らかな音質・曲風が特徴という。

 神奈川県は邸宅・庭園や歴史的建造物を保全活用し、新しい湘南文化を創造発信するまちづくり推進の取り組みを推し進めている。それに賛同する団体と県が推進するプロジェクトの一つが「湘南邸園文化祭」。今年で6回目となる。期間は12月11日まで。

 清閑亭では期間中に12のイベントを用意。10月以降は「政財界人の邸園巡りと『東海道中箱根越え三大土産』グルメツアー」「清閑亭 小田原工芸作家『ふだんつかいのもの』展」などを予定している。

 時間は18時30分〜20時30分。参加費は2,000円(定員40人、菓子ブッフェ付き)。申し込み・問い合わせは清閑亭まで。

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清閑亭ブログ「邸園交流でまちづくり」


 青春だった。純愛だった。東京と広島、約4年。本当に毎日手紙を書いた。横浜市栄区の横浜桂台郵便局の局長、川上賢次さん(60)=栄区在住=は、その恋を「1千通のラブレター」と呼んでいる。そのお相手、妻の啓子さん(57)は「この人を選んでよかった」とほほ笑む。

 人生が変わった瞬間を、今でも覚えている。「1975年の8月2日、朝の8時15分。彼女は茶色のワンピースを着ていましてね」。かれんなショートカットに、「ビビビときた」。

 24歳の早大の学生だった。夏休みに、広島の知り合いの会社を手伝いに来た。彼女は朝の清掃をしていた。何を思ったか、いきなり説教してしまった。「君、掃除のやり方がなっていないよ」。若かった。

 彼女が言い返してきた。「初対面で何よ。ジャガイモみたいな顔をして」。切り返した。「ジャガイモにもつるつるの『メークイン』やごつごつした『男爵』がある。僕は男爵の方が味があると思うな」。キッとにらむ4歳下の彼女が、最高にかわいかった。

 毎日、彼女の机に1輪のバラを置いた。ベニヤ板に「愛しています」と大書したこともあった。1カ月後。帰京の日がやってきた。

 広島駅に向かった。台風で電車が不通だった。何かの啓示だと思った。彼女に電話した。「食事、行きませんか」。それが初デートだった。「もし僕が嫌いでなかったら」。初めて、きちんと気持ちを伝えた。

 後年、小田和正が歌う「ラブストーリーは突然に」を聞き、2人は思った。

 あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら 僕らは いつまでも 見知らぬ2人のまま

 「まるで、わたしたちの歌みたい」

 奇跡をつなぎ留めるように、距離を埋めるように、賢次さんは本当に毎日手紙を書いた。彼女を励まし、時に詩に思いを託し、いつも愛を伝えた。筆無精の彼女は、「3回に1回返すのが精いっぱいだった」。

 衆院議長などを務めた灘尾弘吉の書生だった関係で、賢次さんは大卒が27歳と遅かった。就職を広島にしたら、彼女がすれ違いで東京の叔母のとんかつ店を手伝うことになった。

 上京した彼女は、「モテた」。医師に求婚された。「正直揺れ動いた」。賢次さんに相談した。試すような気持ちもあった。返事は、意外なものだった。

 「君がそれで幸せになるのならそうしたらいい。何より、僕にとっては君が幸せになることが一番だ」

 度量の大きさに負けた。「嫉妬したり、責めたりすると思ったのに。本当に私を思ってくれていた。真面目で真っすぐで。そんなジャガイモが一番よかったんです」。“男爵”の帰京を待ってゴールインした。

 結婚後、賢次さんは灘尾の秘書を辞め、横浜に郵便局を開局した。1男1女に恵まれた。長男のダウン症や両親の介護。山も谷もあった。それでも啓子さんは思う。「この人を選んでよかった」。そう言えば、いつかの手紙にあった。「君を幸せにできるのは、僕だと思う」。賢次さんは言う。「書いたものは消えないし、うそをつかない」。きっとそれは、「1千通」の神通力だった。

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